七夕の由来!短冊は誰に願い事をするの?
公開日: : 最終更新日:2019/03/04
七夕といえば何を思い浮かべますか?勿論、織姫と彦星ですよね。年に1度だけ会う織姫と彦星。
でもそれ以上の事は案外、だれも知らないのではないでしょうか?
そんな知っているようで知らない七夕について書いていきたいと思います。
お願いは誰にするの?
お願いは誰にするのでしょうか?
正式な七夕の由来に基づいた結論からいうと織姫です。
しかし実際に書かれた願い事を読んでみると、現代のライフスタイルや環境に合わせ、恋人や家族、ひいては会社や政治、世界に向けてなど様々であるところは今っぽいといったところですね。
それが現代では手習いにかぎらず願い事を書くようになりました。
でも、これだけでは分かったような分からないような…ですよね。これは七夕の由来を知ると分かりやすいです。
七夕とは中国の陰陽説と五行説が組み合わさってできた「陰陽五行説」が深く関係しています。
全ての物事は、静と動、明と暗のように相反するエネルギーで構成されているという考え方が「陰陽説」で
全ての物事は自然界に存在する5つの元素から成り立っているという考え方が「五行説」です。
それに伴い短冊がなぜ5色なのかという意味に繋がってきます。
- 青(緑)→自然界の木
- 赤→火
- 黄→大地の土
- 白→土の中の金属
- 黒(紫)→生命の水
また、この5色には生き方の五徳も表していて
- 青(緑)→仁・思いやりの心
- 赤→礼・感謝の心
- 黄→信・誠実な心
- 白→義・忠義心
- 黒(紫)→智・勉学に励む心
どうでしょうか?5色の短冊の色それぞれに深い意味があることを知ると、自ずと書く内容も違ってきませんか?
短冊に書く願い事が家族に向けてであれ、会社や世間に向けてであれ、そこにかかれた内容が「自然に感謝し、家族に感謝し、誰もが幸せであって欲しい」という願いであることを彦星と織姫はきっと願っていることでしょう。
七夕の由来
七夕は下記の3つが合わさって出来たと言われています。
- 織姫と彦星伝説
- 乞巧奠(きこうでん)
- 棚機津女(たなばたつめ)
織姫と彦星伝説
そんな娘の結婚相手を探していた天帝は、東岸に住む働き者の牛使い彦星を引き合わせ、ふたりはめでたく夫婦になりました。
しかし、結婚してからというもの、あまりにも夫婦仲が良すぎて2人は全く仕事をしようとしませんでした。これに怒った天帝が、天の川を隔ててふたりを離れ離れにしてしまいました。
しかし、悲しみに明け暮れるふたりを不憫に思った天帝は、仕事に励むことを条件に七夕の夜に限ってふたりが再会することを許しました。
こうして、七夕になると天帝の命を受けたカササギの翼にのって天の川を渡り、ふたりは年に一度の逢瀬をするようになりました。
乞巧奠(きこうでん)
乞巧奠(きこうでん)は、織女星にあやかってはた織りや裁縫が上達するようにと、7月7日にお祈りをする中国の行事です。
庭先の祭壇に針などをそなえて、星に祈りを捧げます。やがてはた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになりました。
この行事が日本の七夕行事の由来の一つとも言われています。
棚機津女(たなばたつめ)
棚機津女(たなばたつめ)は、選ばれた乙女が、7月6日に機屋で神に捧げる着物を織って棚に供え、7月7日に禊ぎをするというものです。
この禊ぎは、その約1週間後の7月15日の満月に祖霊を迎える前の禊ぎでもあり、7月7日には精霊棚とその幡などお盆の準備を始めたことから、タナバタは棚機や棚幡とも書き、この日からお盆行事が始まります。
これら3つが合わさり7月7日の夕方に短冊に願い事を書いて笹に吊るしたと言われています。
まとめ
織姫と彦星が年に1度会う日というロマンチックな物語で、その日に短冊に願い事を書くと言うのはかなり深い意味があったんですね。
『織姫と彦星伝説』と『乞巧奠』は中国から来たもので、『棚機津女』は日本のものです。これら中国の行事と日本の行事が合わさったものが七夕なんですね。
元々は七夕は『ヒチセキ』と呼ばれていたんですよ。それが棚機津女の棚機と合わさり七夕を『たなばた』と呼ぶようになりました。