ひな祭りの歌の意味!「ひなまつり」の歌詞は実は間違い!
公開日: : 最終更新日:2024/02/02
先日、小学生の娘とひな祭りの歌を歌いながら雛人形を飾っていました。その時、こんなことがあったんです(^^)
小さい頃からずっと歌ってきた「うれしいひなまつり」の歌。まさか間違いがあったなんて思ってもいませんでした(・。・;
調べてみるとびっくりするような深い意味があったり、色々なことがわかったんです♪ ひな祭りの歌にはどんな意味があるのかを見ていってください(^O^)/
目次
お内裏様は男雛ではない!
お内裏様というのは男雛と女雛両方を表します。
「内裏」というのは宮中のことなので、「お内裏様」というのは宮中にいらっしゃる天皇と皇后ということになるんです。
向かって左の男雛がお内裏様で向かって右の女雛がお雛様だと思っていた方も多いのではないでしょうか?私は思いっきり勘違いしていました。そう勘違いしてしまう理由ってやっぱりひな祭りの歌にありますよね。
「ひなまつり」の歌詞に‘‘お内裏様と・・・・・・すまし顔’’ってあるからみんな勘違いしてしまうと思うんです(・。・;
子どもの頃に教わって口づてに覚えていることが多いからかもしれません。歌詞の意味とかわざわざ教えてもらいませんから。しかも昔の言葉遣いって今とニュアンスが異なるせいか、勘違いしやすいんですよね。
小さなころから季節になるとあちこちでよく耳にする歌ですが、意外と知らないことだらけなんです。今一度、歌詞の意味を知って、案外奥深い「お雛様」を感じてください。
私はこの曲、「なによりうれしいひなまつり」がすごく意味ありげに思えるのです。
お雛様を簡単に紹介すると、天皇と皇后が1対になっているひな人形が「内裏雛」。二人そろって「お内裏様」です。
そして、「お雛様」というのは、男雛、女雛、三人官女、五人囃子、随身、仕丁と全ての人形のことなのです。
ちなみに、雛飾りのメンバーを上から順に紹介すると、一番上にいらっしゃる天皇と皇后、この方たちを「親王」と呼びます。主役の方たちです。最近では「親王飾り」という1段飾りのひな人形もありますよね。
2段目の三人官女は宮中に仕える女性。
五人囃子は元服前の少年たちになります。
そして右大臣と左大臣。武官です。親王を守る役目の人たちです。
そしてさらに下にいるのが仕丁や衛士と呼ばれる、それぞれ怒り、泣き、笑いの表情をした「3人上戸」と呼ばれる人たちです。
歌詞の中に出てくる人たちもいます。知ってましたか?
そして、実はもうひとつ歌詞の中に間違いがあります。みなさんはどこかわかりますか?
赤い顔の右大臣ではない!
赤い顔で座っているのは左大臣です。
古来から日本では左上位とされていて、左に年配の左大臣、右に若い右大臣が座ります。よく見ると赤い顔をしているのは白いひげをはやした年配の左大臣です。
「うれしいひなまつり」の歌詞で‘‘赤いお顔の右大臣’’となっているのは向かって右に左大臣がいるのを歌詞にしてあります。要は、自分が見ている通りを歌詞にしちゃったんですね♪
左上位とされているのにお内裏様は男雛が右(向かって左)にいて女雛が左(向かって右)にいるのはどういうことなのかというと、大正天皇の即位が関係しています。大正天皇が即位される時に右に立たれたことから男雛を右に置くようになりました。
「ひなまつり」の歌詞の中には「これはどういうことなんだろう?」思うものがあります。
‘‘お嫁にいらした姉さまに’’とあるのは「お嫁に来た」のか「行った」のかどちらの意味なんだろうと思ったことはありませんか?
「お嫁にいらした」は来た?行った?
「お嫁にいたした」のは「行った」になります。
「うれしいひなまつり」の歌は雛人形をながめながら嫁いだ姉のことを想い、女の子のお祭りであるひな祭りを楽しんでいる妹という内容です。
2番の歌詞の中に‘‘お嫁にいらした・・・・・・白い顔’’とありますが、白い顔というのは昔は美人の象徴でした。妹は嫁いで行った自分の姉はこの官女のように美しかったということを思い出しています。
私はこの歌を聞くと切ない気持になります。
昔は今のようにお嫁に行ったら自分の実家にほいほい帰ることはできず「○○家の嫁」として生きていくのが当たり前でした。自分の兄弟にも頻繁に会うこともできなかったと考えられます。
以前はお姉さんと一緒にひな祭りを祝っていたけれど、美しかった姉は嫁いでしまい、その姉を思い出しながらひとりで雛人形をながめている妹を想像したら切なくなるんです(T_T)
メロディー自体も楽しい歌というよりもどこか切ないメロディだと思いませんか?
「ひなまつり」の歌詞にはどのような意味があるのか見ていきましょう。
「ひなまつり」の歌詞の意味を分かり易く。「ひなまつり」の歌詞の意味はこちらです。
1番
2番
3番
4番
4番の歌詞は妹がひな祭りのために普段着から晴れ着に着替えてウキウキした気持ちが表れています。1番~3番は雛人形をよーく観察しているのがわかりますよね(^^)
ひな祭りが女の子にとって嬉しいものだというのもよく伝わってきます…が、私はどうしてもやっぱり切なくなってしまうんです(T_T)
「うれしいひなまつり」の作詞はサトウハチローです。
サトウハチローのお姉さんが嫁ぐ寸前に結核でなくなったために、この歌はお姉さんに対しての鎮魂歌ではないかとも言われていますが真相はわかりません。
では、サトウハチローとはどんな人なのでしょうか?
作詞者「サトウハチローの」プロフィール
- 1903年生まれ東京都出身
- 詩人、童謡作詞家、作家
- 父は作家の佐藤紅緑
- 作品は母親への思慕がこめられているものが多い
- 中学入学後に両親が離婚し、中学を退学、留置所入りをする
- 感化院(現在の児童自立支援施設)があった小笠原で父の弟子だった福士幸次郎と生活をともにして影響を受ける
- 福士幸次郎の紹介で西條八十に弟子入りし童謡を作り始め、数々の雑誌や新聞に載るようになる
- 1945年、戦後初めての映画「そよかぜの歌」の挿入歌「リンゴの歌」を作詞
- 1946年から「東京タイムズ」で「見たり聞いたりためしたり」というエッセイを約10年間毎日連載
- 1946年から1964年までNHKのラジオ番組「話の泉」に出演
- 1954年、第4回芸術選奨文部大臣賞を受賞し、童謡の作詞に専念する
- 1955年、「ちいさい秋みつけた」を作詞
- 1962年「レコード大賞童謡賞」を受賞
- 1963年、NHK放送文化賞を受賞
- 1966年、紫綬褒章を受章
- 1973年、心臓発作で死去
数々の賞を受賞してきた童謡作家が中学時代に荒れていて退学して留置所まで入っていたとは意外ですよね。母親への思慕がこめられている作品が多いというのは両親が離婚して、母親への愛情を求めていたのでしょうか?
荒れていた時に福士幸次郎との出会いで作詞家への道を歩み始めるのですが、人は人生の中で出会いがいかに大事なのかというのがよくわかります(*^_^*)
ところで、みなさんは「うれしいひなまつり」の替え歌を聞いたことはありますか?うちの息子が歌っていたことがあるのですが、どうやら全国的にも替え歌は子どもたちに歌われているようです。
ひな祭りの歌をひらがなで
あかりをつけましょ・・・・・・※
「うれしいひなまつり」の替え歌
「うれしいひなまつり」の替え歌はいくつかパターンがあります。
替え歌 その1
替え歌 その2
他にもいくつかありますが、基本的にはこんな感じです。
私の息子が歌っていたのはちょっと違うパターンで「明かりをつけましょ原爆に」と歌い始めたんです。その瞬間に私はストップをかけ「それはどこで覚えたの?」と聞きました。
当時息子は小学校2年生だったのですが「学校でみんなが歌っていた」と言うのです。お察しの方もいらっしゃるかもしれませんがこちらは広島県。
平和教育も盛んで夏休みの8月6日の原爆投下日は毎年登校日で8時15分に黙とうをして平和学習をします。
それなのにいきなりそんな替え歌を歌ってしまったのを聞いてとても悲しくなりました。
息子には原爆でどれだけの人が亡くなって、家族が離れ離れになり、生き残った人も後遺症で苦しんだりしているということを伝えました。
いくら冗談でもそういう替え歌はいいことか悪いことか自分でわかるはずだと。
それ以来一度も息子が「うれしいひなまつり」の替え歌を歌ったことはありません。
原爆の替え歌じゃなくても、「死んじゃった」などということを冗談で替え歌にするのは私は嫌いです。
子どもには常日頃、言葉には「言霊」というのがあって悪い言葉を使うと人を傷つけるし、自分にも返ってくるから常に幸せになれるような言葉を使っていこうと話してあります。
娘はそういう替え歌を歌ったことがないので、男の子特有の調子にのった感じなのかもしれませんが、いくら調子にのってもいいことと悪いことがあるのは教えていきたいと思っています(^^)
これまでひな祭りの歌の意味について色々書いてきましたが以下がまとめです。
- お内裏様は男雛と女雛両方を表す
- 赤い顔は本当は左大臣
- 「お嫁にいらした」は「お嫁に行った」のこと
- 「うれしいひなまつり」の替え歌はおすすめしない
私は娘がお嫁に行ったら、娘と一緒に雛人形を飾っていたことを思い出して、ただでさえ切なく聞こえていたひな祭りの歌がもっと切なくなる聞こえるかもしれません(・。・;
その頃にはおばあちゃんとしてはりきって孫に「ひなまつり」の歌の意味を教えてあげたいです♪
みなさんも、雛人形を飾る時にはお子さんに「二人合わせてお内裏様なのよ」って教えてあげてくださいね(^O^)/